幅広い世代引きつける波 五輪サーフィン会場の千葉・一宮に集う人々 – 毎日新聞

■年相応の楽しみ方
夏の太陽がなかなか姿を見せない7月の週末。千葉県一宮町のサーフポイント「ヨンライズ」から上がってきた会社員の深谷尚礼さん(38)は「荒れる波に慌てちゃって。反省ばかり」と首をかしげながらも満足そうだ。友人の女性(28)は「ホント、サーフィンは修行。楽しい修行」とつられて笑った。
昨秋から一宮のサーフショップ「CHP」のスクールに通い始めた。東京都内から車で2時間かけてやってきて、2時間のレッスンを受け、2時間かけて帰る。年が明けてから毎週欠かさない2人のサーフィンドライブ。20年近く前に波消しブロックに吸い込まれて危ない目に遭いやめていたが、仕事に余裕が出てきたこともあり、再開した。波に乗った後はレッスン仲間とのおしゃべりを楽しみ、近くで食事をして、海岸のショップに立ち寄り1日を過ごす。「毎日でも海に来たい。もう生活の一部、いや、ほぼ全部」
ウエットスーツを着たままサーフボードを抱え、自転車でCHPのレッスンにやってきたのは近くに住むパート従業員の伊藤美世子さん(49)だ。昨年10月に都内から夫(57)と2人で移住してきた。平日はJR外房線の始発快速で都内の職場に通い、週末はスイッチを切り替えて海に出る。
自宅の一軒家は3年前に購入していた。その頃に「せっかく海のそばだから」とサーフィンを始めた。東京五輪日本代表候補の中塩佳那選手(15)が練習する姿をよく目にする。「あんなふうに波に乗れたら」と憧れるが、「年相応の乗り方、楽しみ方ができることがサーフィンの魅力かも」と話す。同じレッスンには中学生もいる。「サーファーにはすてきな人が多くてコミュニケーションが楽しい」と充実した週末だ。
CHPは10年ほど前から初心者向けレッスンを始めた。CHPによると、最近は県内外から参加者が増えている。サーフィンが初めて五輪競技に決まり、2016年12月に一宮の釣ケ崎海岸が会場に選ばれたことが大きく後押しする。国際大会が毎年のように開かれるほどの国内屈指の良質な波と、東京からのアクセスの良さが、そのまま一宮人気につながっている。
■礎つくった一軒の店
以前は上級者やベテランサーファーが主流とされてきた一宮だが、変化がある。「車で言えばスポーツカーを走らせるような攻撃的なサーファーばかりだったのが、軽自動車やファミリーカーもあるように変わってきた」と町サーフィン業組合組合長の鵜沢清永さん(43)は幅の広がりを感じる。CHPのレッスンでも若い女性や中高年の参加者が目立つという。
戦後に房総や湘南地域で駐留米兵が楽しんでいるのを、地元の少年たちがまねたのが発祥とも言われる日本のサーフィン。千葉県内では太東海岸(いすみ市)が先駆けとされ、1966年には鴨川で初の全国大会が開かれた。
一宮のサーフィンの歴史は、現在の通称「波乗り道路」が砂利道だった76年に創業した一軒のサーフショップに始まる。CHPの前身「ウエーバー&ナカムラ」。60年代からサーフボード製造を手がけてきた中村一巳さんが、一宮在住の知人のつてで千葉市から移住してきて、出店した。
中村さんは日本サーフィン連盟の創設に関わったサーフィン界のパイオニアだ。店の前に位置し、太陽が正面に昇るポイントを「サンライズ」と名付け、ボード作りとともに一宮サーフィンの普及や情報発信に熱心だった。店には次第に仲間たちが集まるようになり、中村さんは数多くのプロサーファーを支え、手ほどきを受けて独立出店した人も多い。積極的に海岸清掃に取り組むなどしてサーファーのイメージアップを図り、地域住民との融和にも力を注いだ。20軒近いサーフショップが軒を連ね、サーフエリアとして広く知られるようになった現在の一宮の礎をつくったと関係者は口をそろえる。
■足元と未来見据えて
11年、サーフタウンとしての一宮の表情を変える転機になる出来事があった。「パタゴニア サーフ千葉」の開業だ。
米国のアウトドア用品大手が日本の海岸近くに初めてオープンしたサーフィン専門店は、個人営業のショップばかりだった一宮で驚きを持って迎えられた。出店に関わったパタゴニア日本支社の川上洋一郎さん(52)は「サーフィンはスポーツだけでなく、カルチャーやスピリット、コミュニティーなど多様な側面があり、ライフスタイルとして捉えられる。米国では普通にあった、多様なサーファーが集えるカジュアルでハードルの低い店を目指した」と振り返る。
開放的な店内はボードやウエットスーツよりも普段着の衣料品のスペースの方が広い。オーガニック食品やビールも並ぶ。前庭では毎月1回、マーケットが開かれ、サーファーだけでなく地域住民や観光客も訪れる。一宮に10年以上通い続けて3年前に移住した男性サーファー(41)は「パタゴニアがきっかけで海岸の雰囲気が変わった。サーフィンばかりでなく音楽やファッションも楽しむようなおしゃれな店が増えてきた」と実感する。
カリスマ的存在だった中村さんは09年、71歳で他界した。「バイタリティーのある人。五輪が開かれると知ったら喜んだろうし、口を挟んだと思う」と長男で現社長の新吾さん(55)は思い起こし、続けた。「五輪開催決定でサーフィンの認知度は2段階くらい上がった。興味を持ってくれる人は今後もっと増えると思う。五輪が終わった後、何に生かせるかを考えていかないと」
1年後の五輪を前に関心の高まりを感じるという川上さんもその先を見つめる。「五輪開催はサーフィンと地域社会を考えるきっかけになる。地域の環境について足元と未来をしっかり見据えていかないといけない」【金沢衛】

20年東京五輪・パラリンピックの開幕まで1年と迫った。千葉県内では一宮のサーフィンのほか、千葉市でレスリングなど7競技が開催される。選手や観客の玄関口となる成田空港を抱え、自治体が10カ国以上の事前キャンプを受け入れる。五輪・パラリンピックが来る街の表情を月1回、カウントダウンしながら追っていく。

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投稿日時:2019-07-23 22:06:27

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